短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 しるけし、そのほか

海へだて引き合ふ島か風すさぶ午後をしるけし二つながらに    蒔田さくら子

 「歌壇」三月号掲載のこの一首に注意したのは、「しるけし」という言葉が使われていたからである。この「しるけし」は、今は一般の国語辞典や古語辞典には、この形では出ていない。

 戦前の大言海や戦後でも上代語辞典(昭42、上山林平)は、この「しるけし」を形容詞として取り上げ万葉集の「神名火の浅小竹原(あさしのはら)のうつくしみわが思ふ君が声のしるけく」(2774)を用例に挙げていた。しかし現在はこの「しるけく」を形容詞(とすれば連用形)とは見なさない。たとえば岩波古語辞典は「しるけく」のままを見出し語として「《著シのク語法》」はっきりしていること。顕著なこと。」として右の万葉歌を引く。つまり「しるし」の古い未然形の「しるけ」に「こと」を意味する「く」がついた形で、「はっきりしていること」の意であり形容詞ではない。ク語法という用語は使わなくても、最近の辞書は、みな同様に説明する。

 つまり「しるし」はあっても「しるけし」という形容詞の存在は認めないのだ。だが、先の蒔田氏の「午後をしるけし」の「しるけし」は、ごく自然にひびいて違和感はない。この形容詞を使った例としては、中村憲吉の『馬鈴薯の花』に、

枯れ立ちの林にこもる壁のねむり月照りくればしるけく浮くも

などあるのが差し当って思い浮ぶが、最近私が関係したある選歌でも「畦草のひとおさ刈りて振りむくに分蘖期の稲は著けく匂ふ」というのがあった。「しるけし」は、歌語としてはさほど珍しくはないだろう。しかし俳句には使われまいと思って試みに「現代俳句用語表現辞典」(三谷昭編)「現代俳句古語逆引き辞典」(水庭進編)を引くと、あにはからんや「しるけし」が出ていてそれぞれに「青潮の流れ著(しるけ)き走馬燈」(山口誓子)「著けしや白壁に揺る夕紅葉」(宮田祥子)が載っていた。

 さて辞典というものは、一旦誤を載せるとなかなか訂正されない。(脇道にそれるが、広辞苑では島木赤彦の説明に「実相観入を強調」を記して近時の第四版まで押し通している。しかるに実相観入の項では「斎藤茂吉の歌論」とする。)「しるけし」に関われば、「新潮国語辞典現代語古語」は「しるけく」を見出し語にしたのはいいが、「しるけしのク語法」という説明は誤だ。「しるしのク語法」なのである。これは初版から新装改訂の第八刷(平5・1)まで変わらない。似たようなことは、広辞苑にもあった。「やすけし」という形容詞を認めて万葉の「安けくもなく悩み来て」(3694)を例として初版から第三版まで通してしまった。第四版に到ってやっと見出し語を「やすけく」に改め、「やすしのク語法」としたのである。それはいいが、万葉の「安けくもなく」という表現から「「安けし」という形容詞があるものと考え、(江戸時代の賀茂真淵あたりから用例が見える。)歌語として今は一般に通用してしまっているのだから「やすけし」も見出し語に加えてよかったのではないか。もう一つ、

み吉野の山の嵐の寒けくにはたや今宵もわがひとり寝む (万葉集74)

 この「寒けく」は、「寒きこと」という意味で形容詞ではない。しかるにこちらは、平安時代の初期から誤解して「思ひきや秋の夜風の寒けきに」(拾遺集)と形容詞の如くに扱ってしまった。だから広辞苑でも岩波古語辞典でも「さむけく」「さむけし」両方立てている。それは一応妥当な措置であった。さあ、あとは簡略に書かないといけない。

ホンチといふ蜘蛛のまだらの強けきを欲るやと吾に問ひし男の子よ  馬場あき子

 これは「短歌」(平5・2)に掲載された作品。後藤直二氏は「群帆」51号で右の「強けき」に触れ、「一読して耳慣れない言葉である。『すこやか』から『すこやけし』が派生したように『強し』から『強けし』が出てきてもおかしくないという論法かもしれないが賛成できない。それともそのうちツヨケキヲミナヨワケキヲノコなどというようになるのであろうか。」と批判した。

 さて明治の子規の歌には「見れば長けく折れば短し」「惜しけき君が命なるかな」「清けき月に鳴くほととぎす」などやっている。「長けし」「惜しけし」「清けし」という形容詞は、本来存在しない。左千夫になると「形よけき釜」「咲きつつ憂けき紅梅の花」などやる始末。茂吉だって「遠けきものにもあるか」「大けき勝に」など表現している。ク語法でなく勝手に形容詞にしているのだ。それは馬場作品の「強けき」も同様である。「さやけし」「はるけし」などの本来の形容詞との混線のこともあろう。だが「しるけし」「やすけし」などはいいがあとはいけないとも言い切れない。結局各人が自分で判断を下すべきか。曖昧な結論となった。


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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