短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 五十路などという言い方

 以下のことは、私の『歌言葉雑記』のなかでも一応取り上げたのであるが、ここで再び触れてみたいと思う。

 岩波古語辞典の「いそぢ[五十]」を引くと「イは五。ソは十。ヂは数詞の下に添える語で、一ツ二ツのツに同じ。ただし、後世、ヂを路(ぢ)の意に解して五十歳の人生行路の意に使う例が多い。」と注して「五十。五十歳」と説明する。すると赤彦の「行き行きて五十路(いそぢ)の坂を越えにけり遂に寂しき道と思はむ」の「五十路の坂」などは、いかにも「五十歳の人生行路」の意味合いをこめていることになる。右の古語辞典は、五十(いそぢ)を「五十路(いそぢ)」と後世、表記するようになったという指摘はない。これは古語辞典の類は皆そうであり、普通の辞書でも明治の言海等には「五十」と書くのみで「五十路」は、ない。ところが、現在の辞書は、「いそじ[五十・五十路]」というふうに載せる。「みぞじ[三十・三十路]」「よそじ[四十・四十路]」「むそじ[六十・六十路]」等も同様である。

 要するに、ミソヂ、ヨソヂ、イソヂ、ムソヂのヂは、ハタチのチと同様の接尾語で、人生行路の路の意味などはない。それなのにミソヂ以下は、三十路というように路を加える書き方が今は広まってしまった。橘曙寛の『志濃夫廼舎歌集』を見ると「君と我いそぢはかくて経にきけり百のよはひもいざもろともに」という五十の賀の歌があり、また「柞(ははそ)葉のかげに五十(いそぢ)の翁さびのこるかひなき霜の下くさ」というのもある。江戸時代には、まだ五十路と記すことはなかったものであろうか。

古琴(ふること)の絃(いと)を煮る香に面そむけ泣きぬ三十路にちかきよはひを   与謝野晶子 『常夏』
わが背子は四十路ちかづくあはれにも怒(いか)らぬ人となり給ふかな        同 『佐保姫』
時ありて猫のまねなどして笑ふ三十路(みそぢ)の友が酒のめば泣く         石川啄木「創作」(明43・10)
栗の花四十路過ぎたる髪結の日暮はいかにさびしかるらむ              北原白秋『桐の花』

 このように明治になってからこの表記は広まったものらしい。そして今ではすっかり一般的になってしまった。広辞苑等も「いそじ」の下には「五十・五十路」と併記するのであるから、もうそれが誤であるとも言いきれない。現代歌人の使用例は、挙げるまでもない。あちこちの選歌をやっていると、この「○○路」が実によく出て来る。茂吉は、前に指摘したように「五十(いそぢ)を越えし」「六十(むそぢ)なる」などと書いていたのに、晩年になって一度だけだが「七十路(ななそぢ)のよはひになりて」と記したのは、俗用を押さえるブレーキがゆるんだためと見られる。

 なお、白井洋三氏は「声調」に「六十路など」(平成五年六月)「続『六十路』など」(九月)という文章を記して、例えば「六十路」は六十歳であって、六十代は意味しないと言われた。

 そして、

新しき年の霜踏み病むわれの五十路(いそぢ)が残す二年ぞ愛しき       宮柊二『独石馬』

について、高野公彦氏が、

 ここで五十路は「五十代」の意味に使われている。五十路は「五十歳」の意味しかない、と思い込んでいる人たちのために、参考として挙げておく。(「コスモス」平成6・6)

と述べたことに触れ、

 だが、単に宮柊二に使用例があるということが「五十代」の意味を一般的に認める根拠たり得ないだろう。これは宮柊二の誤用例かもしれぬ。私も「五十路」は、「五十歳」の意味しかないと思い込んでいる一人であるが、これで納得できるわけではない。

と批判している。「三十路」から「四十路」「五十路」「六十路」という「路」をつけた表は、「三十代」「四十代」という拡大した意味合いを誘うようだ。しかし「五十路」は、五十歳であり、また五十代にも使うというのでは、いくら日本語はアイマイな部分が多いと言っても許されるべきではない。私は、もともと「五十路」という表記すら認めたくないのだから、「五十路」を五十代の意に拡大して使うのは、全く不賛成である。鎌倉時代の慈円の「拾玉集」のなかに定家の作として「三十(みそぢ)余り二年経ぬる秋の霜まことに袖の下とほるまで」という一首があるが、「三十(みそぢ)あまり二年」という言い方の伝統は、あくまで守りたいものだと考える。

わが三十路(みそぢ)寂しく過ぎむ茂山に一人あそべり鶯聞きて

 宮柊二氏の『小紺珠』のこの一首は、やはり三十代の意味だろうか。


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



バックナンバー