短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 「いづくより来りしものぞ」

 山本友一氏が、昨年の「地中海」(平成七年十月号)に「過去の助動詞『き』について」という短い論文を発表された。これは警告の書とも言うべく「現代歌壇の大家、中堅、新人の区別なく、過去の助動詞『き』の連体形『し』の誤用が目立って多くなっている。」として、その誤用例をあげている。その一部を必要部分だけ切り取って書くと、

道をへだてしわが家揺らす
銀杏の緑重なりしその影に
東支那海に沿ひし島陰
枝先まで絡みし蔓の秀

などは「道をへだてた」「緑が重なった」「東支那海に沿った」「枝先まで絡んだ」ということで、いずれも「・・・ている」と状態を表わすから過去回想の助動詞「き」の連体形「し」を用いるのは誤りであって、完了の助動詞「たり」または「り」を使用すべきだと説かれている。

 即ち「道へだてたる」「重なりたる」または「重なれる」、「沿ひたる」または「沿へる」、「絡みたる」または「絡める」と表わすべきだというのである。

 この語法上の問題は、以前は時々論ぜられることがあっても、最近は取り上げられないと思っていたら、この山本氏の文章に接した。論旨明快で爽快でもある。しかし山本氏は、また言う。

 「斎藤茂吉などにも用例が多い。いずれは明治三十八・一二の文部省通達の例のように許容事項になるかもしれない。」と。明治三十八年の文部省の通達は、当時の文語文中心の新聞雑誌の文法上の慣用の表現を一部認めたものだ。いまの文部省は「ら抜き言葉」などには口を出すかもしれないが、作歌上の助動詞の問題までは発言するはずもない。

 要するに過去の助動詞「し」を現在的に使うのが問題なのだが、私も以前書いたことがあるように、この「し」を気にしては茂吉、文明の歌集は一頁も読めないほどだ。現在どの歌誌にもこの誤用は充満している。作者が無頓着のうえに選者も一向気にしないどころか、夫子自ら実践しているというのが大半の現状である。山本氏が警告したその発表誌にも香川進氏は「うち錆びし小さき闇をそのままに」「夏過ぎて高きに伸びし葉のなかを」という上句を含む作品を出している。「錆びし」「伸びし」は誤用といえば誤用である。

 しかしこれは、もう滔々とした流れだ。どうしようもない。許容というか、言語現象として認めざるを得ない。助動詞「たり」には過去の意味はないのに、その「たり」の後身が、口語では過去を表わす「た」にもなってしまった。我々は作歌する際にまず口語で発想して文語に転換する。そしてタ=シの公式で多く律しようとする。「とがった峯」は「とがりし峯」「ゆがんだ月」は「ゆがみし月」とやりがちである。勿論「とがりたる峯」「ゆがめる月」などとやるほうが正当なのだが。こういう「し」の乱れは、江戸時代の歌人や俳人の作品にもかなり見えるが、今、橘曙覧の「独楽吟」の結句だけ並べると、

能くかけし時、人のくれし時、銭くれし時、さとり得し時、ほほばりし時

などが「ひろげたる時」「出できぬる時」「物をくふ時」「出であるく時」等の表現のなかにまじっている。これはタ=シでやったにすぎない。ほかにも曙覧は「古硯ゆがみし石は」とか「有るかぎりひろげし翅」などとも表現していて現代の作者と変らない。

 昔、今泉忠義氏の著書によって知ったのだが、『藤原為忠集』(平安末期の歌人)に、

  わが園の咲きし桜を見わたせばさながら春の錦はへけり

という一首があり「咲きし桜」が目を射る。以前にも指摘したが、もともと「し」にはへんなところがあり、すでに古事記の歌謡に「浮きし油落ちなづさひ」とあり「浮きし」がへんなのである。最近気づいたが、日本書紀の応神天皇のところにある歌謡で、

橿(かし)の生(ふ)に横臼(よこす)を作り、横臼に醸(か)める大御酒(おおみき)、うまらに聞(きこ)しもちをせ まろがち

とあるが、古事記にも出て来るがそれにには「醸みし大御酒」とある。カメル、カミシ殆ど差はないと見るべきか。

 さて、万葉集巻五の有名な山上憶良の「子等を思ふ歌」を引く。

瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばましてしぬはゆ、いづくより来りしものぞ、まなかひにもとなかかりて、安眠(やすい)しなさぬ

 「いづくより来りしものぞ」は「まなかひにもとなかかる」のであるから、来る過程を含む表現であるにしても「来りし」「よりは「いづくより来れるものぞ」のほうがいいと言えようか。先日或る所の歌会で片山貞美氏と一緒になった時、同氏は「し」の乱れを認めずきわめて厳しいので、私が憶良も「いづくより来りしものぞ」といってるではないかと口を挟んだら、「それは憶良のまちがいだ」と断定したので、すっかり降参したのであった。

         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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