あをあをし、そのほか
歌言葉として普通に使用されるものが辞書類に載らない例をこれまでいくつか示してきたが、今月はもう一つ挙げたい。
あめつちのものは悲しもたぎりつつ湯いづる口(くち)に苔(こけ)あをあをし 茂吉『石泉』 あをあをし目下の山を鳥一つ飛びをる見れば一谷(ひとだに)わたる 『暁紅』 夕川に菜を投げこみて青々し春寒き水に人は下り立つ 文明『山谷集』
右の歌に使われる「あをあをし」は、「青し青し」を重ねてできた形容詞とみていいが、辞書にはまず見当たらない。さほど使用例の稀な珍しい言葉でもないだろう。右の歌人より古いところでの例はないかと考えるうちに、次の赤彦の作品を思いついた。
青々し芒のなかに一ぴきの牛を追ひ越しはろかなる道 『切火』 青あをし桑原の上に日の輝く真澄空とぞなりまさりけれ 『氷魚』
この赤彦の歌などが古い使用であろうか。この「あをあをし」は「あをあをしき」「あをあをしく」というような活用も見られず、形容詞としても終止形だけの不完全なものと見るべきであろう。茂吉の「あをあをし目下の山を」、赤彦の「青々し芒のなかに」は、その初句を切って独立句にさせているようでもあるが、また終止形をそのまま体言に続ける連体法のつもりなのかも知れない。それは、古事記の歌謡「遠々し高志(こし)の国」などの呼吸を、おのずと学んでいるのでもあろう。
「あをあをし」の他の作者の使用例も捜せば見つかるだろうが、私の気づいたものでは、
二の丸の水落ち口にただよへる草あをあをし夏ならむとす 柊二『多く夜の歌』
を挙げておく。なお司代隆三編著の『短歌用語辞典(新版)』(飯塚書房)に「青々し(形シク)見るからに青いさま」として、
葱畑に葱のとがりのあをあをし霜をよぶ大地の微動を知るか 小池 光
の一首を挙げている。
それでは「あかあかし」「くろぐろし」という形容詞は、あるだろうか。「あかあかし」は、見たこともない。「くろぐろし」は茂吉に、
午後九時ごろ西海岸にちかづきて高山つづきただ黒々(くろぐろ)し
などあり、辞書になくてもこれは使っていい言葉である。他の歌人にも例はありそうだ。
「しらじらし」は、古典に例があり、古語辞典にも「白雪のしらじらしくも思ほゆるかな」という源重之集(平安前期)の例など引いている。
色彩を表わす形容詞で、なぜ「あをあをし」だけが比較的使われるようになったのか、これは分からない。赤彦などが先鞭をつけたものか。
「あをあをし」から思いついてついでに一言する。百人一首に人麿の名で出ている「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」の原歌は、万葉集巻十一の二八〇二番の或る本の歌として見えるもので、その第四句「長永夜乎」が、平安時代からナガナガシヨヲと訓読されたために、この妙ちきりんな言葉がひろまってしまった。「遠々し高志の国に」という古事記の詩句はあっても、あるいはまた「かなし妹」という語が万葉にあってもそれは別だ。新古今集に「我が心春の山辺にあくがれて長々し日をけふも暮らしつ」(紀貫之)「さくら咲く遠山どりのしだり尾の長々し日もあかぬ色かな」(後鳥羽院)というように伝染してしまった。万葉のもとの歌は、江戸時代の末に万葉集古義の著者、鹿持雅澄によって初めてナガキナガヨヲと訓むことが主張された。ナガナガシヨは誤読だったと言うべきだが、その妙な不熟な用語が後世にも幅を利かせたのである。
まだ余白があるので書く。先月に「深む」という自動詞が、多くの辞書に載せられていないことを記した。その「深む」は「冬深む」というように、季節に関わって用いられるのが大半であるが、必ずしもそればかりではない。たとえば、
生くらくも飽きしに似たるわが心こらへむとするにいや深むらし 空穂『冬木原』
のように心の動きにも用いられる。そういうことも言うべきだったので付記しておく。
来る日も来る日も、テレビや新聞は、役人連中の金にまつわる汚い話ばかり。こんな世の中で、歌よみが花が咲いた、散ったなどとのんきに構えて詠んでいていいのかという気にもなる。今朝の読売新聞に「厚生省の役人たちの一連の行いを知るにつけて云々」とある「役人たち」と言う必要なし。「役人ども」でいいではないか。と、ここでウップンをはらしておく。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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