着地の悪い歌
この連載も材料が乏しくなったので、そろそろ打切りにしたいと思ったが、もう少し続けることにする。
昨年の第十一回の国民文化祭は、富山県の当番でその短歌部門の選者の一人に私もなった。選歌を終えた作品集が、作者無記名のまま私の机上に今ある。それを通読して歌言葉というよりは表現と音調に関わる技法上の不満を感じたので、それを述べておく。まず作品を引こう。
(1) ひざ掛けを少しなほして麻痺の児の車椅子押し日溜りに出づる
(2) 向ひ家に人移り来て久々に灯ともれる窓幼の声する
(3) 与論島の孫より届きし百合の花匂ひつつ箱より出づる
(4) ファミコンのゲームに子らは人を危めあやむるたびに歓声あぐる
(5) 海軍葬喪服の母の胎内にありしとふ我の五十路を越ゆる
(6) 夢の平昇りて見れば散居の里田植を終えて浮島に見ゆる
(7) 行間にあふるる想ひをしのばせて君にさりげなき文したたむる
(8) 老いてなほ農捨てがたく今年また春畑に出で馬鈴薯植うる
(9) 山裾の古墳にさくら咲きほこり塚ひとまわり大きく見ゆる
以上、作品集に出ているままの形で引用した。見れば分かるように、それぞれの結句の据わりの悪さを指摘したいのである。(1)は、なぜ「日溜りに出づ」としないのか。(2)は「幼の声す」でいいではないか。(3)の「箱より出づる」は「箱より出でぬ」「箱より出でたり」などとすることができよう。「箱より出づる」の、このゆるい調子が作者は気にならないのか。(4)は「歓声をあぐ」、(5)は「五十路越えたり」でいい。(6)以下は、もう省略する。みな同様に音調を直すことができる。要するに一首の着地が悪いのである。なお下句だけを抜き出して書けば「鍔ひろき帽子買はむと決むる」「今は世に無きたらちね恋ふる」「湯気立つ姑の尿を捨つる」「走る幼に届かず消ゆる」等々多いこと多いこと。こういうしまりのない結句を私は「着地病」と称している。動詞の終止形できちんと着地すればいいのに、なまぬるい連体形などで結ぶから、間(ま)がぬける。これは口語で考えて文語風に直そうとして口語を引きずるためであろう。この病気は、一般の作者に相当ひろまっている。この国民文化祭の作品集だけのことではない。昨年のNHK学園主催の短歌大会で、春日井建氏が選んだ特選の作は、
アウトプットされゆく数字の瑞々と美しく見ゆる夜のオフィスに 大橋美知子
という一首があり、春日井氏はその第四句の「美しく見ゆる」を「美しく見ゆ」と終止形で言うほうがいいと発言されたが、それは至極同感である。「美しく見える」という口語に引かれて「見える」を「見ゆる」とやってしまったのであろう。勿論いつでも「見ゆる」というような連体形止めはいけないと言うのではない。一首全体の声調、ひびきのなかで決めることではある。
なお国民文化祭の作品を読んで用語上のことを多少付記する。先の引用歌(5)に「五十路を越ゆる」とあるが、以前論じた如くこの「五十路」式の言い方は「五十歳」と「五十代」というように二つの意味に使われるのである。今回の作品にも、部分的に引用すれば「七十路を過ぎてなほ恋ふ故郷の庭」は「七十を過ぎて」という意と思われ「七十代を過ぎて八十になって」の意ではあるまい。先の歌の「五十路」も「五十」の意であろう。しかしこういう用法はむしろ少なくて「六十路坂登り極めてやつと知る」「八十路行く母のうなじのくぼみたる」「八十路なる夫がトマトの棚成さむ」「職なく生きる八十路のわれは」などと、きちんと年齢を限定するのではなくて、その年代をおおまかにさす言葉として使われる場合が多いように思われる。
もうこれはしょうがないのであろうか。どうせ日本語は、特に歌語として用いられるものには、曖昧な意味を持つものが多いから気にしなくてもいいのであろうか。
近頃は「掌(て)」という表記も一般的だが、手の全体も、てのひらも「て」になってしまう。「信濃路」は「信濃へ向かう道」と「信濃の中の道」または信濃全体をさす。「よは」は夜半もさすが、夜全体をも言う。光と影と正反対のものを、どちらも「かげ」と称する。こういう例は、まだまだあるのだ。
付記。昨年12月号の42に「けめ」の用例を挙げたが「一切の女人はわれの母なりとおもへる人は清く経にけめ」(茂吉『寒雲』)という名歌を引くのを失念したのが残念なので、今付記しておく。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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