短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


○春の海ま晝かすみて沖みえず波の音せぬ高萩の濱  結城哀草果
○ぬばたまの闇のなかよりにほひくる梅が香ききて雨の門を入る

 こういう作品を批評の対象とされては、作者にとって迷惑であるかもしれないが、結城氏の現在の歌境は、まずこういったのんびりした太平な世界にあるといっていいであろう。かつての素朴な直接的な生活詠から、遙かに離れてしまっている。アララギの写生という確実な行き方さえ、ややともすれば多分に風流事に堕す危険性を孕んでいるといえよう。結城氏のはその傾斜が相当大きいのではあるまいか。挙げた歌の二首目など、古今集の「色こそ見えね」の歌を連想させる程である。

○雨に濡れ來しかばわれの心知り雨靴たまふあな忝な  高田 浪吉
○春の雨ふりぬかるめどはく靴の水のもれぬが安らかさなる

 何と淡々として無気力な歌であろうか。この作者も現在こういう風に落ち着かれては、なさけない気がする。この「安らかさ」からの脱出を高田氏に求めるのは、無理かも知れぬが、もう少し張りのある作品を示してもらいたいものだ。その点は作歌以前にもっと大きな問題が潜んでいるのであろうが、生活の消極的な部面のみ歌い上げて気弱(きよわ)な詠歎に終っているのは何としても物足りないと思う。

             昭和26年6月号

 (短歌以外の、漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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