○雪はらに影ひく木立さびしみて吾がゐたる丘ゆふぐれとなる 山口 茂吉
○松の葉の散りてたまりし木原なる残雪のうへの蜂の巣ひとつ
この静かな透明な境地は、作者独自のものといってはいい過ぎかもしれないが山口氏の作品の技巧は戦前のものよりも一般に進んでいるように思うし、深みも増していると言っていいと思う。
だだそれは自己の歌境を掘り下げるだけで、結局小さな完成に終ることになりそうだ。現実生活との密着の度合いの少ないところに、この作者の歌風の限界がある事も勿論である。
○たどきなく歩みし日々を悲しめばまぼろしに見ゆ紅梅の花 柴生田 稔 ○清らにてあしびは今も咲くなればこの国かなし国人かなし
この作者の素直な感傷がじかに迫ってくるという感じだが、「春山」一巻を尊敬している私には、少なくともこれらの作品は後退であるとしか思えない。作者の現在の環境ということも考え合わすべきでべきであろうが、それにしても最近の柴生田氏の作品はいささか力が弱っていると思う。
紅に梅咲きたりと寄り立ちてその花の香ぞかそかなりける
ともなれば、この作者のものと信じたくない程である。
昭和二十六年六月号
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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