短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」

 十一月号作品評 其一   富田重延 宮地伸一  (二)

自らは石の如くに座りゐて風はしばしば触れてゆくなり
                    上村 孫作

 [富田] 東洋の古画を見る如き感を与える上の句も見事だが、下の句の飄々とした表現が何とも言えぬ。然も「触れてゆく」が寒巌の如き作者の姿に温い血を通わせて、老の命のいとおしさを感じさせる。作者の到達された歌境の高さを示す一首であろう。

 [宮地] この作者らしい悠々とした歌であるが、特別のものではないように思われる。

さながらに空飛ぶ鳥に吾がなりてヘリコプターに五分程乗る                  狩野登美次

 [富田] 上の句の意表をつく表現は苦心された所と思うが、奇抜さが目立ち成功とは思えない。只結句の現実性が一首を支えている。築地藤子氏に「光りつつ空の真中行くヘリコプター美しと見しが雲に入りたり」があり、このヘリコプターは飛ぶ鳥の如く自然に一首の中にとけ込んでいる。同じ素材でも前者は体験者の意欲作、後者は傍観者の無欲な作、比較は無理と思うが私は後者にひかれる。

 [宮地] 「さながらに空飛ぶ鳥に吾がなりて」を「奇抜さが目立ち成功とは思えない」とする前評の「奇抜さ」を「常識的見立て」と言い換えたいところだ。
意欲作などというほどのものではあるまい。

(昭和61年新年号)(続く)

(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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