十一月号作品評 其一 冨田重延 宮地伸一 (五)
友はパリより帰り着きしか萱の原こえてピアノのかすかなる音 長森 光代
[宮地] 「パリ」という地名によって生きた歌である。「萱の原こえてピアノのかすかなる音」という平板な表現が「友はパリより帰り着きしか」と結びつくことによって、新鮮さを獲得した。
「こころ平にけふは過ごしぬ蕗の葉に置きて岩魚を描く夫とゐて」
にも心惹かれた。「蕗の葉に置きて岩魚を」という具体的な指摘が効いている。
[冨田] 「パリ」により生きたという前評者の指摘はその通りと思う。然し「萱の原こえて」と「かすかなる音」の二句が、友と作者の家の実在感と距離間の表出に働いているのも見逃せない点であろう。
「萱の原」を捉えた作者の眼も非凡だ。新鮮な素材を視覚と聴覚で表現した所にこの歌の成功のもとがあるように思う。二首目の前評者の指摘は同感である。
(続く)
(昭和61年新年号)
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
|