十一月号作品評 其一 小市巳世司 宮地伸一 (二)
エスカレーターの付く駅となりこの階に喘ぎゐし元山手津夫目に見ゆ 熊沢 正一
[小市] 元山手津夫は横浜の会員だったので、「「エスカレーターの付く駅」となったのは横浜の駅だろうと思うが、元山君は何処で働いて居られたのだろうか。思いがけず若く亡くなられてしまった。「この階に喘ぎゐし」君とは私は全く知らなかったのでそれが胸を打つ。
[宮地] 「この階に喘ぎゐし」は、階段をあがるのに難渋していた様子であろう。エスカレーターの設備が出来たのにつけても、故人を思い出すという心で、このまま受け取れる歌である。
砂糖担ぐことも初めより免れて弱きからだに長く勤め来ぬ 伊藤 安治
[小市] 私は担いだことがある。戦争が負けて終ったので現地除隊を願い出て居留民の一人となって、港に着いた船からトラックまで砂糖のずっしりと重い麻袋を運んだ。一つの麻袋に四五人取り付くので非力虚弱な私でも勤まって白酒(パイチュウ)をちょっとやる位の日銭が稼げたのだから、至極暢気なものであった。作者の場合は、勿論そんな生やさしいものではあるまい。だから、自ずと力が籠っているのだろう。
[宮地] この作者の本年三月号の作品に「息づきの荒くなりつつ君達の積みし砂糖のかげに働く」というのがあったが、今月のは退職時の感慨である。「砂糖担ぐことも初めより免れて」という具体的な表現があるため、「弱きからだに長く勤め来ぬ」という一般的な感慨も生きるのである。
(続く)
(昭和63年新年号)
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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