新アララギ2012年3月号選歌後記 三宅 奈緒子
解体の朝早くわれは部屋部屋に礼を言ひつつ家に別れつ
自転車に出勤する娘が解体のはじまる家に手を振りてゆく
三浦 良子
震災によって住んでいた家を解体しなければならなくなったのであろう。家は単なる建物ではない。そこに暮らして来た家族の心のより所であった。その生きた真情が出ている。
かの島に共に屍を晒すかと語りゐし友は先立ち逝けり
震災にも猛暑にも障りなかりしを何ぞ輪禍は友を奪ひぬ
今井 潤
南方の島に共に死を覚悟した戦友、共に今まで生き永らえて来たのに、思わぬ輪禍で失う。一連、抑えた表現で無常感を、また日々の寂莫感を表白している。先のことは思はず生きむ今子の家族と山桃のジュースに乾杯してゐる
わが至福のときと思はむ朝あさの中州の鷺をベランダより見る 近藤 淑子
一人で病と闘う作者であるが、今しばらくの時を子の家族と楽しみ、また中州に来る白鷺に心和ませる。その柔軟な心は読むものにも深く沁みてくる。
壇の浦の海にちかぢか今日は来て波掬ひつつ知盛を思ふ
主(ぬし)なき舟の塩にひかるるとこの海に滅びし様をあざやかに描く 岡田 公代
壇の浦の海浜に来て平家滅亡のときを偲んでいるが、一連中に「平家物語を学ぶ七年」なる句もあって一通りの観光詠でないことがこの連作に厚みを与えている。後者上二句など原文中の一景を採っており、古典への眼の細やかさを偲ばせる。(“塩”は今の表記では“潮”であろう。)
(平成二十四年三月号 選歌後記より)
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