短歌雑記帳

アララギ作品評

 2012年4月号選歌後記    三宅 奈緒子

伊豆の園のチンパンジー舎に夫立てばビリーは寄り来二十年経しに
寒き夜にミルク与へて抱きたるその感触を夫はまた言ふ
離れ行く夫を見送り飼育舎の屋根にビリーはいつまでも立つ                   吉原 怜子

 連作によって詠われた内容自体が感動的で先ず心打たれる一連。二十年経ても飼育者を忘れず、屋根に登ってまで見送るチンパンジー。現実に即して淡々と詠い、それが現実のもつ感動をひき出しているといえよう。

ちりぢりにトベラの赤き実の落ちて海吹く風のつよきこの坂
傘かたむけ風の坂道たちまちに音たて跳ねるあられ一面に
ひとしきり霰打ちたる海べの道ほのあたたかく夕日のおよぶ                   青木 道枝

 寒気にさらされる北陸の自然。特に、吹く風、海べの坂道、地を打つ霰と動的な自然を鋭い感覚でとらえ、巧みに描写して自然の動きそのものを感じさせる。

野の果てにその遠き果てに日の沈みシベリアを行く汽車にわが居り
橋越えて遠くオビ川の見ゆるなり雪の降るかな夜に至りて
銀の粉となりて日差しの中に雪の降る冬に至りしシベリアの町                  千葉 裕子                 

 しばらく日本に帰住していた作者はまたシベリアでの勤めに復したが、シベリア詠が今はすっかり作者手中のものとなった感じで、読者としては懐かしい感じさえするのである。

(平成二十四年四月号 選歌後記より)



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