2012年5月号選歌後記 三宅 奈緒子
放射能ふくむと穴掘り埋めゆく柿の実醸して冬日に匂ふ
放射線の除染終へたる校庭に遊ぶ幼ら二時間の制約うけて
奥山 隆
庭の柿の実、校庭に遊ぶ幼、平時は何ごともない情景も原発事故後は一変した。近地域に住む作者ならではの把握による現実感がある。「原発事故の廃炉に四十年かかる工程表どの辺りまで吾が命ある」とも詠う。多くの人の共感する所であろう。
黄鶺鴒に足を止めつつせせらぎに沿ひゆく今日の夫機嫌よし 粉雪舞ふ庭に遊べる雀らを炬燵より夫とたわいなく眺む 稲生 みどり
一読のどかな夫婦の生活を描写しているが、これらに「萌ゆるとき枯るる時ありて長かりし術後一年の年を越えたり」「妄想と幻覚に怯え自死せむとせしかの時の夫をかなしむ」などの作が加わると明と暗の織り出された現実が感得され、連作のもつ力が強く働く。つらい現実をも敢えて描出することで迫力ある一連となると思う。
帰り来て遺影に対ふに抗がん剤効かなくなりしとけふは告げ得ず
餌欲りてセキレイ来しと電話切りしこの友も一人に老いの身やしなふ
近藤 淑子
遺影は亡夫のものと思う。一人暮しの作者は遺影に日々病状を告げているのであろうが、抗がん剤が効かなくなったという辛い現実は今日はまだ告げ得ないでいる。「けふは告げ得ず」という結句が重苦しい余韻を残す。後作、同じ一人暮しの友とセキレイを話題にして電話を交す、寂しいが澄んだ静かな世界である。
(平成二十四年五月号 選歌後記より)
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