作品紹介
 
選者の歌
(令和7年7月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  洞穴トンネル を三つ四つ抜けつひに来ぬ鵜原の海の今宵の宿り 鵜原理想郷にて
久々に味はふ伊勢海老コリコリと食めば友らの情しみじみ
 
    さいたま 倉林 美千子
  山の家も無人となりしにその山に父納むるかと子らはためらふ
冬空に秩父山系浮きぼりとなる時遠し夫のふるさと
 
    四日市 大井 力
  いちにのさん掛声かけて好きな子の名を告げあひし友の訃届く
あらはにも世界経済戦争身に及ぶ九十近付く暮らしのなかに
 
    柏 今野 英山
  渋谷にも梁山泊ありとうそぶいて立ちあげし会社の企みつきず
葛餅のまろやかにして舌に溶くやつかいものに潜むやさしさ
 
    横 浜 大窪 和子
  生成AIディープフェイクに騙されて居るかも知れぬわが住む世界
わたくしがあなたが使ふパソコンの奥に潜みて悪魔が笑ふ
 
    札 幌 阿知良 光治
  陽子線治療を終へて一箇月PSA値は0.167
雪残る手稲の嶺を望みつつ妻の墓前に報告に行く
 
    神 戸 谷 夏井
  戦前に祖父の渡航土産として海越えしピアノわが家にしづまる
動物愛護など言はぬ時代のピアノにて象牙の鍵盤古りて黄ばめり
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  ジョークたりし「エンゲル係数高水準」ニュースに語るを吾がことと聞く
大袈裟と思ひつつ読みし老人性乾皮症の歌今ならわかる
 
    生 駒 小松 昶
  急性心筋梗塞ならむ君らしき美学にひとりひつそり逝きぬ 岡崎氏一周忌
イソヒヨドリわがバルコンに腹ばひて青光る羽平たく干しぬ
 
    東 京 清野 八枝
  車いすの師匠に寄り添ふ三人の弟子そば打ち名人の引退記念に 高橋邦弘氏
血糖値下げむと歩む朝の廊下看護師ら笑みてすれ違ひゆく
 
    広 島 水野 康幸
  幾日も不登校の中学生と登校す民生委員の母の生きがひなりき
繰り返し「有難う」を言ひ逝きし母に看護師ら棺を見送りくれぬ
 
    島 田 八木 康子
  夫君は学生服のまま大学もしばらくは教職もと語る明るく
良寛の六然観を思はせてほほゑむ友か遠き日のまま
 
 
先人の歌
 

 星野清 歌集「アルルの光」より

このホームページの選者を長くお受けくださった星野清先生の歌集「アルルの光」から

   <意識なく>
意識失せて二十日過ぎたる曾祖母の髪なでてをりわが四歳が
酸素マスク のみど に当てて物のごとく並べるひとりとなりたり義母は
意識戻らぬ曾祖母を言ひ出づるをさな児よ赤きあきつが草原に飛ぶ
表情の動かぬ顔に看護師が意識なき義母の衣を替へゆく
意識なく生かされて七十七日かベッドに両の手結はへられたり
朝々のわが靴そろへ下されし手なりき脈の絶えだえとして
亡骸となりし曾祖母の枕辺に五歳がひとりまた覗きゐる
庭掃きを欠かすことなき義母なりき小さき箒に今朝はわが掃く
曾祖母の骨拾ひたるわが幼もどり来てひとり茶を欲したり


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