作品紹介
 
選者の歌
(令和7年12月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  鯛のあら炊き夕餉のメイン大歓迎その身と骨をせせるが至福
折角のあら炊きなれば「剣菱」の口開けせむかかつての如く
 
    さいたま 倉林 美千子
  食堂に行くが苦痛と人に言はず指の変形を隠して座る
たれこめし雷雲たちまち流れ去り開きしページの文字明るみぬ
 
    四日市 大井 力
  側溝に何分失神してゐしか覚えず若者に助け出されぬ
携帯に縛らるるをよしとせぬ態度それみたことかと子に叱られぬ
 
    柏 今野 英山
  秀吉の石垣ことごとく埋めころす地下深くに見る権力といふもの
美しく連なる堀の石垣の深くにねむる怨み知るべし
 
    横 浜 大窪 和子
  思ひがけぬ電話かかりて心揺らぐかつてダンスのパートナー君
窓を透り天井に映る木漏れ日は風吹くままにゆらぎて止まず
 
    札 幌 阿知良 光治
  コスモスは朝の風にそそと揺れ妻の微笑み浮かびて哀し
持たせたる葡萄の礼が携帯に「メッチャ甘かつたよ」と息子のメール
 
    神 戸 谷 夏井
  けふ気温三十五度超えて蟻も蚊も活動鈍しヒトのみならず
恒例の死のロードも快調にてタイガースにはやばや優勝マジック
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  GT-R最後の一台を見つめゐる若き工員の涙は清し
シャガールの空に舞はずや東京の夜を抱き合ふデュプランティス夫妻
 
    生 駒 小松 昶
  妻と娘は常になかよし年寄のひがみ妄想と言はれさうだが
粋がりて「指輪は要らぬ」と吾が言ひき妻の心を思ふことなく
 
    東 京 清野 八枝
  暑さ続きいまだ花なき彼岸花かの日朱あかあかとみ墓への道に
                           三宅奈緒子先生
娘ひとり遺してその夫逝きたりき医学の発展思へば口惜し
 
    広 島 水野 康幸
  民家の庭に数本育つ立葵遠くに見つつ母を訪ねき
知らずしらず弱きチームに味方して見る高校野球カープより面白し
 
    島 田 八木 康子
  奥座敷の真中に陣取り盛大に鳴くクツワムシ遠き夏の日
壮にして学べば老いて衰へず何に甦る脈絡もなく
 
 
先人の歌
 

 今回は「新アララギ」の初代の代表者であった宮地伸一先生(1920〜2011)の第一歌集「町かげの沼」(昭和39年初版発行)から、幾つかの歌を紹介したい。昭和15年20歳の時に「アララギ」に入会し、翌16年小学校教諭となるも、その12月8日、真珠湾攻撃、太平洋戦争が始まり、翌年1月に召集され、僅か10か月の教師生活を後に、北満から南方へ移動し、セレベス島で終戦を迎えられた。この歌集には、昭和17年の入営後(22歳)から昭和38年(43歳)に至るまでの作品が収められている。
 (一)には戦地で多くの制約の中で詠まれた歌を、(二)には戦後、新制中学の教師として生徒たちと関わってきた喜びと苦労、また結婚(37歳)によって得た家庭のあたたかな幸せを詠んだ歌の幾首かをお読み頂ければと思う。

(一)
 別れ来て幾日も経ねどわが教へし生徒を思ふ時涙出づ
 夕寒き光に照らふ白楊どろの木のあをき木膚に触れむとぞする
 北極星まうへに近く輝きて永久とはなるものを嘆かざらめや
 椰子の木の木蔭涼しく風通ひしばしば思ふ遠き満洲
 アッツ島死守せし兵の時となくその叫ぶこゑ我はききつつ
 はるばると来にし命かひとつあめに南十字星見ゆ北斗七星見ゆ
 ワクデ島は白煙に包まれてありといふ涙流れて電文を解く
 霞みつつ紀伊の国見ゆ日本見ゆいのちはつひに帰り来にけり

(二)
 ごみごみとせるこの土地の生徒あいし一生終らむをはるともよし
 窓越しに我は見てゐつ素直になり私服に連行されてゆくさま
 たむろせる少年どもに近づき行くはたし合ひの如き心となりて
 涙ためて校舎の陰にうづくまる一晩家に帰らざりきと
 それぞれに心傷めし生徒なりきわが前を腕組みて歩み行く
  
 幼ならを妻の呼ぶこゑそれぞれの小さき布団に湯たんぽを入れて
 畳のうへ駈けめぐる子よ横たはる我を幾度もとび越えながら
 子らのためナイフあたためパンを切る怠り過ぎしひと日の夕べに
 あたたかき冬日に髪を梳く妻のかたはらにゐて妻のにほひよ
 長生きしてねと言ひし妻の言葉人群るる中にゐてよみがへる

 この12年後昭和51年に、妻康子さんは病のため、三人の子らを遺して45歳で亡くなった。この後の第二歌集「夏の落葉」には妻を失った悲しみが切々と詠まれ心打たれる。


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