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十二単衣の姿おだしき式部像筆執りし時の苦悶を偲ぶ
一すぢの蔦のぼりたる芭蕉塚木曽殿の塚の奥にひそけし
わが集落に初めて引きし電灯の光は死に近き父を照らしき
左側の声帯死にて受け継ぎし父よりの声惨めに濁る
巻向に掘りし擬宝珠の一皿は文明先生に倣ひたる味
塩鰯に馴れたる母は早苗田に捕りしウナギを口にせざりき
ふるさとの筧の水の透きとほるボトルの二つ
家苞にせむ
夜明けまへの涼しき時に机にてもの書く知恵も老いて知りたり
わが鉢に冬を越えたる野牡丹の初花咲きて八月の尽く
甘藷にも温暖化見ゆ奈良のわが畑に花咲きし二〇一六年
支流二つ落ち合ふところ空開け喜佐谷の小さき村に下りぬ
先生が脚気を病みて糠を煮しそのいとなみを庭にかなしむ
小谷稔先生の最終歌集『大和くにはら』より。既にこの欄でも紹介されているが、学ぶところの多い歌集であり、今回はその前半部分から十二首を掲載した。新アララギホームページにアシスタントとして私を招いてくださった先生の、歌会での響きの良い声の批評は今なお大切な記憶として胸に刻まれている。
十二首目は斎藤茂吉『つゆじも』に「みすずかる信濃の国に足たゆく燈のもとに糠を煮にけり」という歌がある。 |