作品紹介
 
選者の歌
(令和7年10月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  吾が愛づる玉杯れば琅玕の黄の色ふかし清朝のもの
月かげは吾が玉杯に及び来て黄に光りたり深くゆたかに
 
    さいたま 倉林 美千子
  大木を覆ひつくして葛の蔓なほ幾筋もくうをさまよふ
再び世に会ふことなけむ人なれどいたく普通に別れ来りぬ
 
    四日市 大井 力
  隣との境界の垣越えてくる草綿わた限りなし夕かげのなか
孤独死を遂げて空家のままに過ぐ隣の庭に溢るる野芥子
 
    柏 今野 英山
  骨付きの兎の煮物にこの島の青き草の芽そへてありたり
この島にその名残ししカラヴァッジョ ワインのラベルは「ヨハネの斬首」か
 
    横 浜 大窪 和子
  伊作といふ名を聖書のイサクと重ねられ若き日の父カリフォルニア大に
山椿の花咲く下にきみを待つといひし人ありかの遠き日に
 
    札 幌 阿知良 光治
  暑さ増す庭にくぐめば紫陽花の有るか無きかの風に揺るるも
何処よりか郭公の声聞こえきて妻に供へるダリアを切りぬ
 
    神 戸 谷 夏井
  かすかなる記憶の中の夜の蚊帳通して見る母美しかりき
ゆるゆると扇ぐ団扇の風よろしエアコンの今もわが傍に置く
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  六月の風に揉まるる大麦の彩る道に子の機嫌良し
「世の終りも私一人は生き残る」アニメソングに浮かぶしたり顔
 
    生 駒 小松 昶
  原初の生命四十億年分化して今日の吾あり大腸菌も
限りなく降る花びらのひとひらは唯一無二の命なりけり
 
    東 京 清野 八枝
  全国歌会への熱き思ひに胸衝かる迎へし先生は車椅子にて
歌評するみ声通りてよき歌を学ぶよろこび心を満たす
 
    広 島 水野 康幸
  君が棺に花束つぎつぎ入れられて溢るるばかり吾が涙出づ
数学者を退職してなほ手話の講義を六年続けし君の遺徳よ
 
    島 田 八木 康子
  梅雨前のからりと晴れしこの陽気気まぐれな猫も膝に寄り来る
「喜寿はひよつこ」のテーマに惹かれ読みゆけどああ無情「続きは会員のみ」と
 
 
先人の歌
 

  廃仏毀釈に遭ひて日本を離れしか目を落としゐる木像の僧
  くさぎれる土白々しその果てにモンサンミシェルの塔屹立す
  パリの旅終らむとする夜のくだち初めて晴れて麦星上る
  器用なりし母の短き指を言ひともどもに手の平をのぞき合ひたり
  父みづから運びて植ゑし柘植の木の太く古りたり父ねむる墓に
  月の照る空にまぎれざる天の川マッターホルンにかたむきゆけり
  ユングフラウヨッホに仰ぐ太陽を思ひきや四半世紀過ぎてふたたび
  在りし日の君が詠みたるポポーの木門口にはや黄葉してゐつ
  放水路の土手を下りればひろびろと吹く風ありて川のにほへり
  会場の人ら最も寄るなかに友の日本画「幻春」を見つ
  乾涸らびて並べる藷の標本に芽吹けるは忘れ得ぬ沖縄百号
  ハイランドのピートを潜る細小川いささがは澄みて琥珀の色に流るる
  みづうみを尋ねてくぐりゆく森の木々の下なべてブルーベルの花
  生井先生亡きはしばみを支へくれし君の力は知る人ぞ知る
  いづこよりわが庭に来て勢ふか今年穂の立つふゆのはなわらび
  谿水の上なる空の明るめばしばしかがやく木々のみどりは
  舞茸を見出でて人はかく喜ぶ手振りして文明先生語りき
  人は皆死ぬものなのだどんどん死ぬ文明先生ひとりごちゐき
  はしばみを継がむと書きし後の会ひの安らげる先生のお顔忘れず
  はしばみが日々の暮らしの核となりていつしかわれも七十を越ゆ

 星野清先生の第三歌集『月の照る空』より。二月に掲載した前半に続き、今回は後半部分からの二〇首を掲載した。後半でも充実した海外詠に出会うことができる。一〜三首目は「パリ行」と題した中の三首で、一首目はギメ美術館で詠まれたもの(二〇〇一年三月)。歌集名となった六首目、及び七首目は「スイス行」(同年七月)、十二、十三首目は「イギリス行」の小題がある作品群より(二〇〇二年五月)。十三首目の前には「ワーズワース住まひし家を今に保ち屋根の煙突にほそき煙立つ」という作品がある。「城東区」と題した連作中にある九首目及び、「大平山おほひらさん」と題した連作中にある十七、十八首目からは土屋文明への敬愛の念が伝わってくる。八首目、十四首目は「はしばみ」会員への追悼歌であり、「はしばみ通巻六五〇号」と題した連作中の十九、二十首目の作品と共に、「はしばみ」に寄せる深い愛情が感じられる作品となっている。


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