作品紹介
 
選者の歌
(令和7年3月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  「俳諧は萬葉集を心とす」芭蕉のことば価千鈞
雅びより剛毅の面影しのばする松尾宗房伊賀の武士なり
 
    さいたま 倉林 美千子
  奥さんを何度呼ぶかと笑はれて息する度といらへき夫は 介護施設にて挽歌六首
を強く握るは誰かと問ふ吾にかすかなる声「ミ・チ・コ」
 
    四日市 大井 力
  九十九里の海の轟きに誓ひたる大切な友が歌離れゆく
目を病みて臥します切なき歌を見るかくて人より歌が離るる
 
    柏 今野 英山
  石造りの街に青き絵画壁アズレージョのカトリック教会救ひのごとく
トランペットとギターを鳴らす男と女暮らしていけるか人過ぎゆきて
 
    横 浜 大窪 和子
  救急搬送されゆく夫に寄り添ひぬサイレン鳴らし車は揺れる
昏睡するその両足をひたすらにさすり続けて過ぎてゆく時
 
    札 幌 阿知良 光治
  黒沼先生の追悼歌会と聞きおおぞら3号にて十勝へ向かふ
収穫を終へしビート畑の延々と続く十勝の平原を行く
 
    神 戸 谷 夏井
  夏以来レッスン重ねて遂に来ぬわれら一万人にて第九を歌ふ日
いつまでも戦火の消えぬこの星にあまねく届け吾らの歓喜フロイデ
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  勝敗の行方決めしはSNS電脳支配の世への序章か 兵庫県知事選
劇画より悪夢より奇なり日々に聞くトランプ政権の閣僚人事は
 
    生 駒 小松 昶
  日本海よりテント担ぎて登りし剱岳つるぎ横目に今日は立山に喘ぐ
若き日に剣岳より見つめゐし立山・大汝だいなんじの頂きに立つ
 
    東 京 清野 八枝
  わが疎き「分子生物学」優秀と少女の成績を告げ来ぬ次女は
姉のバイトを継ぎて年末もスーパーに共に働くか少女ら頼もし
 
    広 島 水野 康幸
  薄暗き部屋の水槽真白なるくらげが多にすいすいとゆく マリーナホップ水族館
ひんがしの山の向かうに光差し近くの学校に日あたり始む
 
    島 田 八木 康子
  出会ひたるこの僥倖に声も出ず藤原ていの『流れる星は生きている』
遠近の眼鏡にルーペ重ねつつ息もつかずに読む引き揚げの記
 
 
先人の歌
 

 第二次世界大戦勃発のころ、リトアニア領事であった杉原千畝。6000人のユダヤ難民を救ったことで有名である。その夫人、杉原幸子は歌人で、短歌との出会いはアララギであったという。今、彼女の歌集『白夜』が手元にある。

     『白夜』 「命のビザ」 より
 固き独逸語にて公園の柵に記しありユダヤ人入るを禁ず
 ナチスに追われ逃れ来しユダヤ難民の幾百の眼がわれを凝視みつむる
 ビザを待つ人群に父親の手を握る幼子はいたく顔汚れをり
 ビザ交付の決断に迷ひ眠れざる夫のベッドの軋むを聞けり
 苦しみし二夜は明けぬ夫と我の命かけ救はむ心定まる
 走り出づる列車の窓に縋りくる手に渡さるる命のビザは


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