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今回はアララギの源とも言える正岡子規の前期の写生の歌を眺めてみたい。
明治27年(ほぼ27歳)
嶋山を雲たちおほひぬ伊豆の海相模の海に浪立つらしも
明治28年(日清戦争)
いくさにぞ人は死にするから山の熱きばかりも我たへなくに
かへらじとかけてぞちかふ梓弓矢立たばさみ首途すわれは
明治30年(柿の歌)
世の人はさかしらをすと酒飲みぬあれは柿くひて猿にかも似る
明治31年(金州城外所見、他)
もののふの屍をさむる人もなし菫花さく春の山陰
人住まぬいくさのあとの崩れ家杏の花は咲きて散りけり
人も来ず春行く庭の水の上にこぼれてたまる山吹の花
わが船は大海原に入りにけり舳に近くいるか群れて飛ぶ
諸鳥の嵐にさわぐ声絶えて鷹飛びわたる不尽の裾山
望の夜は恋しき人の住むといふ月の面をながめつつ泣く
文写す窓の紅梅咲きそめて紅うつる薄様の上に
潮早き淡路の瀬戸の海狭み重なりあひて白帆行くなり
剣に倚りてふりさけ見れば西の方に稲妻すなり風吹かんとす
わが庭の垣根に生ふる薔薇の芽の莟ふくれて夏は来にけり
海原に立つ雲の峰風をなみ群るる白帆の上をはなれず
神の我に歌をよめとぞのたまひし病ひに死なじ歌に死ぬとも
久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな
次期に続く |