土屋文明の愛弟子で戦前・戦中に清新な生活詠で注目され、32歳で戦病死した相澤正の歌をその遺歌集(短歌新聞社文庫:文明の序文、雁部先生の解説あり)から辿る(10月の続編、最終回)。
昭和16年:中央公論社、谷崎潤一郎訳「源氏物語」系図梗概執筆に協力した。
簾上げ明るくなりし室中に畳に吹ける埃目に立つ
読み切りし校正刷をそろへつつ世なれにたりと思ふたまゆら
霧らひつつ篊しずまりし夕潮に白帆を上げて船のたゆたふ
雨もりの痕いちじるき我が部屋に何時頃よりか鼠絶えたり
大根の花野ゆきつつ思ひ出づ母と住みにしいとけなき日を
落ち潮の湛へ澄みにし岩窪に夕星うつり磯づたひゆく
屈折のいたく乱れし硝子戸を開けて見てゐる街中の森
絨緞を敷きたるポーチゆきかへり屈みがちにてものを言ふ君
すがすがと水を張りたる桶ありて防火砂ほされぬ蓆の上に
寝押しすと泥はらひたるズボンより小さくなりしナフタリン落つ
昭和17年:同社「婦人公論」編集部次長
突きすすみ機翼をけへす吾が二機の姿も永久にとどめたりけり
弾幕の中に生きつつ砂かぶり敵陣越えし一部隊あり
熱帯林戦ひすすむ御軍に吾が彼の君もしたがひをらむ
さぎごけの花の明るき柵のなか監視気球の繋索巻きをり
吾が友のあまたみ軍に召されゆき年経る中に君をかなしむ
みいくさに病みみまかりし汝が御魂ささげて遠くかへる父君
昭和18年:四月に習志野の部隊に召集、直ちに中支に向かい、秋、消息を絶つ。 父母に寄す 中支戦場詠
ふるさとの秋しおもほゆ刈萱の一本しげる草に伏しつつ
夜清き空にかかれる銀河低しあはれふるさとの盆もすぐらし
草いきれ香に立つ丘に小休止して物思もなき夕べなりけり
黒々と髭さへのびて我はあり兵としなりて逞しきかな
同郷の戦友たちと語るとき単純にしてうたがひもなし
飯うまき一夏すぎて兵我はいよよ清しく努め果さな
陰膳を据ゑて待つとふ父母よ真幸くしるく其の子吾在り
昭和19年:八月ころ、戦病死。同じころ中支を視察した土屋文明は正と連絡を取るべく努めたが叶わず、後に『韮菁集』に歌に残している。
思ひつつ
朝渡りし水上にすでになかりしかああ相澤正
南京に或る夜目覚めて胸さわぎ君を思ひきただ会ひたかりき
顔しろき生徒なりし日より短かからず共に食ひ共に飲みにしを
酔ひすぎる君を或る時は怒りにきしみじみとして今朝一人思ふ
新アララギ発行所の壁に、入営する宮地伸一を励ます相澤正の葉書がいまも掲げてあるという(雁部先生の解説)。戦争は絶対に起こしてはならない。
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