昭和天皇については、その戦争責任や人柄について国民の間に今もなお意見が大きく分かれている。即ち、日本を破滅に導いた張本人であるという人がある一方、長い間英米や交際連盟を支持しながら軍部と戦ったが、ついには負けて戦争を始めた天皇であり、歴代天皇の中でも特に偉大であったという人がいる。私は、昭和天皇は専門の政治家でもないのに長年にわたり、日本のかじ取りを任せられて、過ちを犯した不幸な人と考えている。こういう人の歌をこの欄に載せるには異議もあるかも知れないが、歌としては万葉調の優れたものなので鑑賞したい。歌集は「みやまきりしま」と、天皇皇后両陛下の合同歌集として「あけぼの集」がある。
昭和天皇の御製
(戦前)
鳥がねに夜はほのぼのと明け初めて代々木の宮の杜ぞ見えゆく
ゆめさめて我が世をおもふあかつきの長なきどりの声ぞきこゆる
月かげはひろくさやけし雲はれし秋の今宵のうなばらの上に
淡路なるうみべの宿ゆ朝雲のたなびく空をとほく見さけつ
(開戦)
天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
世の中もかくあらまほしおだやかに朝日にほへるおほうみのはら
(敗戦)
爆撃にたふれゆく民の上を思ひ戦さ止めけり身はいかにならむとも
海の外の陸に小島にのこる民のうへ安かれとただいのるなり
戦にやぶれし後の今もなほ民の寄りきてここに草とる(皇居内勤労奉仕者)
たのもしく夜は明けそめぬ水戸の町うつ槌の音もたかくきこえて
(亡き母をしのぶ)
ありし日の母の旅路をしのぶかなゆふべさびしき上の山にて
たらちねの母の好みしつはぶきはこの海のべに花咲きにほふ
(戦後)
高原にみやまきりしま美しくむらがり咲きて小鳥とぶなり
潮のひく岩間藻の中石の下海牛をとる夏の日ざかり
(引揚者)
国民とともに心をいためつつ帰りこぬ人をただ待ちに待つ
外国に長く残りて帰りこぬ人を思ひてうれひは深し
かくのごと荒野が原に鋤をとる引揚人をわれは忘れじ
国のため命捧げし人々のことを思へば胸せまりくる
(日常)
しをれふす葦の葉がくれいづこより渡り来にけむ子鴨のあそぶ
池の辺のそぞろありきに娘らと語るゆふべは楽しかりけり
みづならの林をゆけば谷かげの岩間に清水わきいづる見ゆ
みづうみにともしび浮かび打ち上げの花火はひらく山の夜空に(河口湖)
久しくも見ざりし相撲ひとびとと手をたたきつつ見るがたのしさ
つたもみじ岩にかかりて静かにも旅の館の秋の日暮れぬ
港まつり光りかがやく夜の舟にこたえて我もともしびを振る
(七十歳になりて)四首
七十の祝ひをうけてかへりみればただ面はゆく思ほゆるのみ
ななそぢを迎へたりけるこの朝も祈るはただに国のたひらぎ
よろこびもかなしみも民と共にして年はすぎゆき今はななそぢ
ななそぢになりにしけふなほ忘れえぬいそとせ前のとつ国のたび
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