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今回は「新アララギ」の初代の代表者であった宮地伸一先生(1920〜2011)の第一歌集「町かげの沼」(昭和39年初版発行)から、幾つかの歌を紹介したい。昭和15年20歳の時に「アララギ」に入会し、翌16年小学校教諭となるも、その12月8日、真珠湾攻撃、太平洋戦争が始まり、翌年1月に召集され、僅か10か月の教師生活を後に、北満から南方へ移動し、セレベス島で終戦を迎えられた。この歌集には、昭和17年の入営後(22歳)から昭和38年(43歳)に至るまでの作品が収められている。
(一)には戦地で多くの制約の中で詠まれた歌を、(二)には戦後、新制中学の教師として生徒たちと関わってきた喜びと苦労、また結婚(37歳)によって得た家庭のあたたかな幸せを詠んだ歌の幾首かをお読み頂ければと思う。
(一)
別れ来て幾日も経ねどわが教へし生徒を思ふ時涙出づ
夕寒き光に照らふ白楊の木のあをき木膚に触れむとぞする
北極星まうへに近く輝きて永久なるものを嘆かざらめや
椰子の木の木蔭涼しく風通ひしばしば思ふ遠き満洲
アッツ島死守せし兵の時となくその叫ぶこゑ我はききつつ
はるばると来にし命かひとつ天に南十字星見ゆ北斗七星見ゆ
ワクデ島は白煙に包まれてありといふ涙流れて電文を解く
霞みつつ紀伊の国見ゆ日本見ゆいのちはつひに帰り来にけり
(二)
ごみごみとせるこの土地の生徒愛し一生終らむをはるともよし
窓越しに我は見てゐつ素直になり私服に連行されてゆくさま
たむろせる少年どもに近づき行くはたし合ひの如き心となりて
涙ためて校舎の陰にうづくまる一晩家に帰らざりきと
それぞれに心傷めし生徒なりきわが前を腕組みて歩み行く
幼ならを妻の呼ぶこゑそれぞれの小さき布団に湯たんぽを入れて
畳のうへ駈けめぐる子よ横たはる我を幾度もとび越えながら
子らのためナイフあたためパンを切る怠り過ぎしひと日の夕べに
あたたかき冬日に髪を梳く妻のかたはらにゐて妻のにほひよ
長生きしてねと言ひし妻の言葉人群るる中にゐてよみがへる
この12年後昭和51年に、妻康子さんは病のため、三人の子らを遺して45歳で亡くなった。この後の第二歌集「夏の落葉」には妻を失った悲しみが切々と詠まれ心打たれる。 |