作品投稿

作品募集要項

短歌をお寄せ下さい。作品には運営委員による指導があります。以下の手順でお願いします。

(1)「初稿」の提出。1人1か月に5首まで。自作未発表作品であること
(2)「改稿」の提出。「掲示板」での添削等を取り入れた改作。この提出は月3回程度。
(3)毎月20日までに「最終稿」と明記して、1人3首まで(厳守)を、指導を受けた作品の中から自選して、あらためて提出
(4)ハンドルネームを使用してもよいが、混乱が生じやすいので頻繁に変えないこと。
(5)「新アララギ」本誌の会員は、ここに投稿した作品を本誌に二重投稿することのないように注意する。
(6) 投稿された作品は選抜の上、「新アララギ」誌上又はインターネット上のホームページに掲載される。掲載後は原則、削除や消去は不可である。


作品投稿ページ

投稿はこちら

今月の秀歌と選評



 (2024年12月) < *印 旧仮名遣い >

八木 康子(HP運営委員)


 
秀作
 


夢子

今になり何故何故と人は言う戦争を拒否出来なかった時代の圧力
戦争を悪と思わず疑わずただ餓えていたわが七歳の冬
イナゴ食う疎開っ子のわがデザートは秘密の丘の野いちごなりし


評)
作者の、基本明るく軽やかな作品に長らく親しんできて、羨ましいとさえ思っていた末の、今回の一連に驚愕した。太平洋戦争のさなか幼い子供だった作者の、疎開先での生々しい暮らしぶりには胸が詰まる。遠い昔には、731部隊の記録などもむさぼるように読んだ私だが「クレヨンも糊さえ食べしあの頃はダイエットする日来ると思わず」の上の句には声も出なかった。歴史の証言者として、是非、時々でもまた詠ってほしい。
 


湯湯婆

劇場の一段ごとの「いい」「あかん」噺の出来を占う階段
笑い皺ふえたる友の顔を見て思わず手をやる目じり口もと


評)
最終稿には出なかったが、一首目の歌として「脚を病む友の第二の杖となり寄席通いする二人のイベント」がある。一連の導入歌としてばかりでなく、作歌背景として、また作者の人となりもうかがえ、切り離せない大切な作品だと思う。大事にしてほしい。
 


はな

スーパーに歳末の色満ちている数の子黒豆客の手待ちて
長電話楽しいけれど疲れるわと友は云いつつまた長電話


評)
軽やかな詠みぶりは、作者のフットワークの軽さにもつながって、周りの多くの人たちからも愛されるお人柄が窺える。
 また、作者のさりげない動きの描写から詠いだす手法が魅力的な「残菊を起こせば匂いまだありて黄の色満つる夕べの狭庭」も、下の句に一気に広がる映像のような美しさが印象的で捨てがたい。
 

佳作



原田 好美

リハビリの部屋に立ちつつ背伸びすれば富士の高嶺に雲の湧きおり
看護師が麻痺せる我の左手をそうっと持ちて爪切りくれる


評)
不自由になられたお体をいたわりながらも、感動する心、感謝する心を大切に、こうして歌にする姿勢は、きっと作者の放つ光となって周りを明るくしていることと思う。富士山はふもとに住んでいても、一日中姿を現さない日は世間の人が思っているよりずっと多く、それだけに、前の歌のような感動はいつまでも途絶えることなく、作者を優しく包み続けてくれるだろうと信じている。
 


鈴木 英一

鎌倉はどこの街路も人溢れ海には波待つサーファー群がる
八幡宮の舞殿の上の結婚式じっと見つむるインバウンド数多


評)
最終稿には残らなかったが「故郷の友人夫妻と共の旅つぎは何処へと心ははやる」から、この旅の背景がわかって、連作に厚みが出た。歌集を編むときにはぜひ加えてほしい。
 


笹もち

曇天に四足並んで揺れており冷たいくつ下前後左右に
六十を過ぎてもはたらき続けいる父の作業着畳まれてあり


評)
見逃しがちな日常をとらえて詠み、作者の温かなまなざしがうかがえる連作。「住人が増えたかよう暖房のまわりに増える家族の肌着」も、ほっこりする。
 誰も目にとめないようなちょっとした事を、さりげなく詠まれた作品に惹かれる声は、思いのほか多いように思っている。大切にしてほしい。
 


紅葉

回収は四十九通見も知らぬ者に付き合う暇はないらし
今一度頼んでみるか重ねての協力依頼の文書を添えて


評)
このサイトでは貴重な現役勤労者の職務詠。作者にとっては、自明の理の一連だったろうが、部外者にもわかるような改稿を待っていた。掲示板に「散文で背景を書いてもらえませんか」と伝えればよかったですね。
 
 
寸言

  今回はこのHP発足当時の選者故新津澄子先生の言葉をご紹介します。
 
 <如何に詠むかの基本> −短歌の実作者にとって−

 「歩む」「鳥の声聞く」「嘆きたり」と述べれば「われが歩む、われが聞く、われが嘆く」のは自明のことですね。だから、われ、わがを入れるのは強調する場合で、普通は入れなくてよいのです。
  次に語の重なり、意味の上の重なりにも気をつかいましょう。
「そよそよとやさしき風」「花の色鮮やかに冴ゆ」「片隅にひそと静まる」など一つ言えばよいのです。 また「見る、聞く、仰ぐ」などは使わないで表わす工夫をしてほしいのです。「蝉の声聞く」といわなくても「花咲くを見る」といわなくても「空を仰げば」もなくてもわかる筈だから。
単純化というのはこのような無駄な言葉を削ることからはじまるのです。

* 皆さんにとっては言わずもがなの事だったかもしれませんが、えてして初心は忘れがちなものとの意味で、自戒として私にも大切なことと思い、記しました。
              八木 康子(HP運営委員)
 
バックナンバー