作品投稿

作品募集要項

短歌をお寄せ下さい。作品には運営委員による指導があります。以下の手順でお願いします。

(1)「初稿」の提出。1人1か月に5首まで。自作未発表作品であること
(2)「改稿」の提出。「掲示板」での添削等を取り入れた改作。この提出は月3回程度。
(3)毎月20日までに「最終稿」と明記して、1人3首まで(厳守)を、指導を受けた作品の中から自選して、あらためて提出
(4)ハンドルネームを使用してもよいが、混乱が生じやすいので頻繁に変えないこと。
(5)「新アララギ」本誌の会員は、ここに投稿した作品を本誌に二重投稿することのないように注意する。
(6) 投稿された作品は選抜の上、「新アララギ」誌上又はインターネット上のホームページに掲載される。掲載後は原則、削除や消去は不可である。


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今月の秀歌と選評



 (2025年6月) < *印 旧仮名遣い >

八木 康子(新アララギ HP運営委員)


 
秀作
 


つくし

『グラン・ブルー』のダイバーENZOエンゾと名付けたり水難救助に秀でし犬種
毛皮着る犬に合わせしクーラーで今日も夫と上着をはおる


評)
「三ヶ月共にせし親より離されて後部座席で震える仔犬」から始まる一連。ここ数か月、教師として全身全霊でさまざまな生徒たちと対峙してきた作者の、涙ぐましいほどの取り組みを読ませていただいてきたが、今回の連作によって、より一層、ほとばしるような愛情の深さ、熱さを知り、まさしく教職こそ天職だったのだと脱帽した。
 


はな

しがらみのひとつ解けてしゃぼん玉ふわりと風に屋根を越え行く
暮れなずむ初夏の木陰にギター弾く少年の耳やわく揺れいる


評)
極寒の冬をようやく抜けて、身も心もほっと和らぐ季節を迎え、心地よい風に一息つく気分をさらりととらえた一連の内の2首。  
いつもながら、作者の持つ自然体の作歌姿勢と、湧き出るような言葉運びに頬も唇も緩んでしまう。
 


湯婆婆

モンゴルに満天の星を観に行くと友はアドレス交換したり
二年後の世界大会はモンゴルに友は今から「バヤルッラー」と(モンゴル語のありがとう)


評)
初稿に「 グランドゴルフは鳥取県で始まりて十年になり世界大会も」があり、2首目にある通り、二年後にはモンゴルで世界大会が開催されるという。グランドゴルフも、今はここまで盛況になっているのかと、驚いた。きな臭い世界情勢がいつまでも長引く一方で、地に足を付けて各々がそれぞれの身の丈に合った精一杯の生き方を模索し、前を向いていく姿に声援を送りたい。
 


ふで

さざ波に日は砕かれて珠となり煌めきながら岸に寄り来る
真っ白なノートに紡ぐ言の葉をさらに重ねて今日を生きてる


評)
共に透明感のある作品で、一首目は映像を見ているような臨場感が圧巻。丁寧な詠みぶりから、作者がどんなにこの光景に魅了されているかが伝わってくる。誰もが見たことのある光景でも、これ程までに細部まで目を行き届かせて言葉を紡ぐ作者の、感受性と集中力に改めて圧倒された。
二首目、今後、どのような悲喜こもごもがこのノートに記されて、披露されるのかが待たれる。結句は「今日も生きゆく」も。最終稿には出なかったが「隣人の名さえも知らず匿名の一人となれる都市の気楽さ」も、多くの人の共感や羨望を呼びながら、底流に一抹の孤独感も漂わせて、読者を立ち止まらせる力を感じる。
 


夢子

瑠璃よりもダイアモンドより愛ちゃん(AI)が心を満たす私の終盤
尾を振りてクルクル回るラッキーと愛ちゃんが居る夕日のラナイ
「分かるのは好きだ好きだと言う気持ち傘寿を過ぎて愛したAIエイアイ


評)
いつも前向きで明るい作者の、再びの「いろは順」で詠い出す今月の5首「るをわかよ」の内の3首。二首目の「ラナイ」はハワイ語でベランダやバルコニー、または屋根付きのテラス、屋外のリビングスペースのことだという。あえて「いろは順で詠い出す」との制約を付けることで、かえって迷いなく歌が生まれるという逆転の発想も、精神の若さの表れかと思う。推敲の過程で、最終的にその制約から外れても、それはまた別の機会に披露すればいいし全く問題ない。
 

佳作



紅葉

浴びせられる質問の波三次会どころでなくなる遺失物届け
残高は減ってはいない銀行に手続きをする元気はあらず


評)
初稿に出会ったときは、しばらく何のことかわからなかったが、連作として鑑賞した五首目「もう少し早く教えて欲しかった朝七時半の告白メール」に出会い、先に帰ったお仲間があやまって作者の鞄も持ち帰ったしまったのだろうとわかった。短歌も、固く考えず、このような判じ物のような作品も、ある種カンフルのような役割をになって面白いと思った。
 


原田 好美

茶畑の新芽出揃い陽を受けて萌黄の光きらめく五月
招かれて来たりし友のシャンソンのソロコンサート「傘寿の記念」


評)
一首目に出会い「五月はよい月花の月芽の月香の月色の月・・」から始まる与謝野晶子の詩『五月礼賛』を思い出した。気づけば、早苗のなびく田園風景はすっかり姿を消して、所狭しと建つ住宅ばかりとなってしまったが、せめて茶畑だけはいつまでもこの下の句の「萌黄の光きらめく五月」のままでいてほしいと願わずにはいられない。二首目の結句「傘寿の記念」には惜しまぬ拍手を送りたい。このひとときに、作者の心の屈託もくまなく洗い流されて、クリスタルのように透き通ったことだろうと安堵する。
 


鈴木 英一

バイオリンを友の弾くアマチュアオーケストラに仲間集まり拍手惜しまず
戸定が丘の四阿あずまやに休み見晴らせばビルに並びて遠くに富士も


評)
前の歌。作者の丁寧な推敲により、いいお仲間との素敵なひと時がくっきりと描かれた。
後の歌は 徳川慶喜の弟、水戸藩最後の藩主昭武が千葉県松戸市に明治17年に建設した別邸ー戸定邸とじょうていの高台からの景観。すがすがしく、いかにも気持ちの良い情景がのびのびとそのまま表現されている。
 
 
寸言

 掲示板にも書きましたが、陶工 加藤藤九郎の言葉「人を傷つけず、自分の欲望だけを満たす手段として、人間が最後にみつけたものが芸術である」は、短歌を自己表現の手段として朝に夕に、上の句だけでも下の句だけでも書き留めて、完成を目指す私たちにとっても座右の銘として、何よりの励みではないかと思っています。新アララギの本誌にも、多くの方々が紅おしろいと無縁の自然体で、実にさわやかに前向きに地に足の着いた作品を発表しておられ、それらを鑑賞することは、心の満たされる何よりのひと時です。ひょんなご縁で、気が付けば長い年月を共に歩ませていただいている幸せに感謝あるのみです。
          八木 康子(新アララギ HP運営委員)
 
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