作品投稿

作品募集要項

短歌をお寄せ下さい。作品には運営委員による指導があります。以下の手順でお願いします。

(1)「初稿」の提出。1人1か月に5首まで。自作未発表作品であること
(2)「改稿」の提出。「掲示板」での添削等を取り入れた改作。この提出は月3回程度。
(3)毎月20日までに「最終稿」と明記して、1人3首まで(厳守)を、指導を受けた作品の中から自選して、あらためて提出
(4)ハンドルネームを使用してもよいが、混乱が生じやすいので頻繁に変えないこと。
(5)「新アララギ」本誌の会員は、ここに投稿した作品を本誌に二重投稿することのないように注意する。
(6) 投稿された作品は選抜の上、「新アララギ」誌上又はインターネット上のホームページに掲載される。掲載後は原則、削除や消去は不可である。


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今月の秀歌と選評



 (2024年9月) < *印 旧仮名遣い >

小松 昶(HP運営委員)


 
秀作
 


原田 好美

線香花火の松葉の光しゅんしゅんとしばし煌めき不意に終わりぬ
目が覚めて涙一筋流れゆく固く強張る半身を想い


評)
前:線香花火の一生のはかなさが美しく精妙に描写された。人の一生まで暗示しているとも感じられる。後:病がもとで、長年車いす生活を余儀なくされている作者。これまでの歌は、気丈に明るく生活されているものが比較的に多いように感じていたが、このところの歌には厳しく辛い本音を垣間見る思いである。短歌作者としての勇気と覚悟の表われと見て、更なる深化を期待する。
 


はな

手料理を全部平らぐる孫の背にそら高々と百日紅咲く
暫くを見ずに過ごしし隣人は白き木槿の散る夜に逝きぬ


評)
前:元気いっぱいの成長期の孫と今を盛りに咲き誇る百日紅とがうまく響き合って作者の心情が伝わってくる。後:この頃見かけなくなり心配していたら、亡くなられたという隣人。上の句に近所への干渉を控える傾向にある現代を表現し、下句の具体に深い哀悼の心が込められていよう。二首ともに、淡々と事柄のみを提示して、却って深い心情を表現し得ている。
 


つくし

ランチせし子供の歓声今はなく一人で座る木漏れ日の椅子
お母さんちゃんと聞いてよ僕の話自分も聞けと言ってるくせに


評)
前:楽しかった子供との日々を懐かしんでいる作者。下句に今の一人の寂しさが、下の句の具体に滲み出ている。後:子供が小学5年生くらいであることが別の歌から分かるが、子供の発した言葉のみで一首をなして、生(なま)の生活実感を表現された意欲作。今回の一連、子育て時代の生活を具体的に生き生きと詠まれていて心惹かれた。
 


紅葉

〆切が心を曲げて胃を曲げる熱帯夜のせいばかりではなし
西からの嵐はすぐにやってきて5分と経たずずぶ濡れとなる


評)
前:〆切に追われているらしい作者、熱帯夜だけでなく、その仕事のストレスで心身を病んでしまっているようだ。これは吾々にとっても他人事ではすまされない重みをもった問題である。上の句の簡潔な表現も説得力がある。後:この夏〜秋は例年になく厳しい豪雨に見舞われたが、作者もその一人なのか。人による環境破壊、地球温暖化のつけが回ってきているのだろう。
 


はずき

Juneteenthは米国第二の独立記念日アフリカ系米国人に光差し込む
アートありクラフトありて賑わうも一番人気はキッチンカーなり
                Juneteenth:6月19日、奴隷解放の日


評)
南北戦争は1865年4月に終結したが(リンカーン)、6月19日は、最後まで拒んでいたテキサス州で奴隷解放宣言が読み上げられた日。前:ハワイ州在住の作者、このところハワイやアメリカの社会史に関わる作品を発表し、教科書的な知識のみならず実生活における感情、認識など、目を開かれる思いだ。後:祝日の意義を踏まえたうえで、隣人の取り敢えずの興味はやはりこの歌に挙げられることであると、いきいきと、ユーモラスに提示している。
 

佳作



鈴木 英一 *

早朝の池の水面をすれすれに燕が仲間とすいすい飛び交ふ 
夕暮れの庭に水遣れば揚羽蝶慌て飛び出す塒のありや
テニスにて長きラリーは決着するもゲームカウント皆忘れをり


評)
前:燕たちの様子を温かく見守る作者の優しさが滲み出ています。中:「やあ、すまんすまん、塒があったんか。びっくりしたなあ、もう」という作者の声が聞こえてきますね。ここにも、優しさとユーモアが見られます。後:これも巧まずして読む人の心を和ませてくれる歌。お人柄でしょうね。
 


夢子

希望の陽サッとさしたる心地してカマラ・ハリスをテレビに見つめる
アメリカに初めての女性大統領もう決まったと私は思う


評)
前:最終稿のもう一つの歌「年とりて頼り無げなるバイデンに心痛めし民主党ファン」を受けている。作者の心の動きが如実に詠まれている。後:現在、ハリス氏とトランプ氏の支持率はほぼ拮抗しているが、作者の思いがストレートに表れていて爽快だ。
 


湯湯婆

六本の脚のすべてが己がものの如く歩む盲導犬よ
虹彩は開いたままの緑の目老い猫は吾を見ることなきや


評)
前:二頭の盲導犬が一つのハーネスに並んで調子を揃えて役目を果たしていると想像する(そういうことがあり得るのか分からないが)。犬は歩くときは少なくとも1本は宙に浮かせているから、二頭で六本の脚が地に着いている訳ですね。四句は「如くに歩む」として調子を整えましょう。後:瞳孔が開いているので、目の病気か脳の病気か死亡したか、であろうが、「見ることなきや」と疑問の形をとっているので、死亡ではなさそうですね。正しくは「見ることなきか」か「見ることなしや」となります。
 
 
寸言

 この欄を担当して4年になるが、いつも悩むのは、コメントとして何処まで自分を出すか、ということだ。ここに投稿される方は元々歌が好きだから投稿されるので、その時に、一応前もってHPの頭の「新アララギとは」を読まれて、一定、歌作りの考え方を了解されていると思う。が、実際には「写実」「現実主義」などの理解や解釈には個人差が大きく、従って作品にも大きな幅がある。このこと自体は少しも悪いことでなく、個性的、多様性に富む歌が生まれる元になる。が、特に若い(と思われる)方の作の中には、詩的な雰囲気はあるものの、何を訴えたいのか理解しにくいものがある。こちらの想像力の不足も否定はしないが、もう少し「新アララギ」の理念に近づいて歌を作って頂けたらと思い、コメントすると、もう改稿をいただけない。私の包容力と寛容性と想像力の欠如を痛感する昨今である。
           小松 昶(新アララギ会員)
 
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