作品投稿

作品募集要項

短歌をお寄せ下さい。作品には運営委員による指導があります。以下の手順でお願いします。

(1)「初稿」の提出。1人1か月に5首まで。自作未発表作品であること
(2)「改稿」の提出。「掲示板」での添削等を取り入れた改作。この提出は月3回程度。
(3)毎月20日までに「最終稿」と明記して、1人3首まで(厳守)を、指導を受けた作品の中から自選して、あらためて提出
(4)ハンドルネームを使用してもよいが、混乱が生じやすいので頻繁に変えないこと。
(5)「新アララギ」本誌の会員は、ここに投稿した作品を本誌に二重投稿することのないように注意する。
(6) 投稿された作品は選抜の上、「新アララギ」誌上又はインターネット上のホームページに掲載される。掲載後は原則、削除や消去は不可である。


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今月の秀歌と選評



 (2024年6月) < *印 旧仮名遣い >

大窪 和子(新アララギ編集委員)


 
秀作
 


はな

向かい風に立ち漕ぎして行く男子生徒白きワイシャツ夏陽を弾く
果てしなき麦の畑の真ん中を一両電車音立てて行く


評)
中学生だろうか、風に向かって立ち漕ぎをする力強い動きが鮮明に描かれている。下の句の表現も爽やかで結句の「夏陽を弾く」が素晴らしい。2首目は広々した畑中を一両の電車が走る光景、さびしさではなく、印象的な美しさが感じられる。
 


笹もち

脇役に落ち着いているわたくしにドラマティックな失恋生まれる
人の幸に拍手する役やめたのち愛した日々に後悔はない


評)
不思議心理詠である。この恋愛はお互いの気持にずれがあったのだろうか。ある日突然、相手は新しい恋人のもとに走ってしまった。作者にとってみればドラマのような展開なのだろう。しかし「後悔はない」という、深淵な心を持った作者である。
 


大村 繁樹

癌化せし腸のポリープを子に従ひ切除し杖に海を見に来ぬ
子の思ひに目を背けこし我なりき「手術受けて」の願ひ拒めず


評)

二人に一人が癌を病むという現代、手術をするかしないかも大きな選択肢の一つだ。これまではあまり子供の思いに忖度しないで来た作者が、心をこめた子の願いに応えた。癌を患ったことで深まった親子の絆が伝わる二首。前の歌の結句が爽やかだ。

 


時雨紫

自転車に孫と乗りゆく飛鳥路に里の景より自販機探す
娘らのアプリに任す旅先に英訳和訳タクシーも呼ぶ


評)
暑い盛り飲み物が最優先。飛鳥路といえども熱中症になっては大変だ。ましてやお孫さんが一緒とあらば。ケイタイのアプリを使って旅の全てを熟す娘さん。現代の機器はお手のものだ。目を白黒させる母親の作者。三代それぞれの楽しい歌である。
 


紅葉

連休の終りし電車は遅れがちみんなゆっくり始めたいらし
都度都度に気づきしことを歌にして記録にすれば忘れてもよし


評)
連休明けは電車のダイヤものんびりしているのか、それを咎めるのではなく共感している作者。面白い。短歌を詠むということは人生を記録すること。今更でない気もするが、大げさでなくさらりと詠んでいるところに特徴があり、作者らしい。
 


原田 好美

孫娘運動会の晴れ姿リレーを走るソーラン踊る
みどりご抱き乳を飲ませる娘の笑顔に現れ出でぬ母の幸せ


評)
活発なお孫さんなのだろう。運動会は活躍の場である。「晴れ姿」が効いている。生まれたばかりの赤ちゃんに乳を含ませるおかあさん、その姿は誰がみてもこころ暖まるものだ。下の句からはお祖母さんとなった作者の歓びも伝わってくる。
 

佳作



夢子

福耳はほぼ出来上がり年経れば笑い皺ともマッチしている
悲しみは笑顔で表す癖がつき極楽トンボと呼ばれて暮らす


評)
思わず笑いを誘うユーモラスな二首だが、その裏側には秘められた哀しみがが感じられ、味わいのある作品に仕上がっている。作者の人柄が表れているのだろう。
 


鈴木 英一

二十年経て訪ねし母校の校舎一新行き交ふ学生皆スマートに
出生率団塊世代の三分の一異常な数字に危機感ありや


評)
一首目の結句、最後に作者の思い付きで大変よくなった。学校も時代を反映していることが分かる。出生率の低下を口にする人は多いが解決の方法はあるのだろうか。個人の問題か政治の問題か、感心を持って行きたいものだ。
 


つくし

父の椅子母の椅子が食卓にありし灯のまま彳んでいる
会いたいと思ひし日には父母の椅子に座りて話しかけているわれ


評)
亡くなった両親の椅子がそのまま食卓に残っている。どこの家庭にもありそうな光景で共感される。父母を慕う気持は万人に共通するものだ。
 


はずき

突然に先輩の死を耳にして信じきれずに家族に問いぬ
家族みなハワイに移住し二十年多趣味で多くの活躍されき


評)
作者の優しい気持ちは解るが、二十年も音信の無かった先輩? 少し関係が淡すぎる。作者とどんなつながりがあったのか、もう少し具体的な内容が描かれるといいと思う。
 
 
寸言

  短歌人口の高齢化が進んでいるようである。いきおい、短歌同人誌の存続が難しという噂が聞かれるようになった。我々「新アララギ」もそうした波に無縁ではないが、人生百年といわれるこの時代、まだまだ前向きに進んでゆく所存である。
 高齢者の歌、若者の歌が共にあってこそ、時代を映す短歌世界を生み出すことが出来る のだ。縁あってこのホームページに参加されている皆さん、手を取り合って頑張って行きましょう。
           大窪 和子(新アララギ編集委員)
 
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